【安藤 誓哉】経歴やバッシュ、年俸、プレースタイルを紹介

Bリーグ
日本人初のカナダリーグプレーヤー 安藤 誓哉(あんどう せいや)の経歴や特徴などです。
#3 安藤 誓哉
ポジション PG
チーム 島根スサノオマジック
生年月日 1992年7月15日
出身地 東京都江戸川区
身長/体重 181cm / 81kg
推定年俸 6300万円
バッシュ アディダス
SNS Instagram

経歴

アマチュア経歴
  • 1999.4
    小学校
    幼稚園の頃に母が録画してくれたNBAの映像を見て、 華麗なプレーをするマイケルジョーダンに憧れて小学1年生の時に 「きさらぎジュニア」(葛飾)というミニバスチーム入り、バスケットボールを始める。 (並行してサッカーもしていた) ミニバスでは東京都ベスト4まで勝ち上がったことがある。
  • 2005.4
    中学校
    地元の中学校に進学し、バスケ部に入部。 3年間通して、関東大会には出場したが、全国大会には出場できなかった。 しかし、県対抗ジュニアオールスターで東京都選抜として出場し、これが全国デビューとなった。
  • 2008.4
    仙台大学付属明成高校
    高校は地元を離れ、宮城県の強豪・仙台大学付属明成高校に入学。 2年次のウィンターカップを制し、 3年次にはインターハイ準優勝 全国での活躍が評価され、 U-18日本代表としてアジア大会に出場し、 1試合平均23.4得点を記録し得点王を獲得するとともに ベストファイブに選出された
  • 2011.4
    明治大学
    高校卒業後は、明治大学に進学。 これまで得点することがメインの役割だったが、 当時の監督からPGへコンバートされ、 スコアリングガードとしての才能を開花させます。 2年生でキャプテンを任されインカレ3位、 3年次には準優勝に貢献。 4年生で迎えた2014年の李相佰杯争奪日韓学生バスケットボール競技大会では 日本大学選抜チームのキャプテンを務めた
プロ経歴
  • 2014.10
    ハリファック・レインメン(カナダ)
    大学卒業を待たずにアメリカの独立リーグであるドリューリーグに参加することを決める。 ※ドリューリーグとは、 5月~8月に行われるNBAを目指す若者や現役NBA選手がコンディション調整で参加するハイレベルなリーグ。 このリーグに所属するロサンゼルス・ループの当時監督だった野澤亮介HCの紹介でチームに参加することになり、 試合の出場機会はほとんどありませんでしたが、 シーズン最終試合の残り3分間だけプレー 僅かな時間で7得点を挙げた。 この時のプレーを見ていたカナダのプロバスケリーグである NBLカナダのハリファックス・レインメンのスカウトの目に留まる。 レインメンのスカウトは野澤HCに対し 「ベンチに座っているべき選手ではない、もっとプレータイムを与えればまだまだ成長する」 と語り安藤選手を評価した。 そして2014年10月にハリファックス・レインメンと契約し、 日本人初のカナダリーグ選手となる。 NBLカナダでは全試合に先発出場 チームは地区優勝を飾り、プレイオフへ進出しファイナルまで勝ち上がります。 ファイナル第6戦ではシーズン最多の27得点を記録し素晴らしい活躍を魅せました。 この活躍が評価され、2014-15シーズンのオールルーキーチームに選出された。
  • 2015.5
    メラルコ・ボルツ(フィリピン)
    フィリピンプロバスケットボールリーグメラルコ・ボルツへ移籍。 カナダに続き、日本人初のフィルピンリーグ選手となった。 ここでもスタメンPGとして活躍。 チームのプレイオフ進出に貢献。 その後、NBAを目指し再びアメリカへ戻り、 NBA下部リーグ(現在のGリーグ)のトライアウトに参加したが、 ドラフト候補に名前が挙がるも指名はされず悔しい結果となった。
  • 2015.12
    リンク栃木ブレックス(現・宇都宮ブレックス)
    アメリカでの挑戦を終えたのち、栃木の関係者からオファーを受け、 リンク栃木ブレックスにシーズン途中で加入。 しかし、当時のチームメイトにはPGに田臥選手などが在籍していたため、 3番手PGとしてプロキャリアで初めて多くの時間をベンチで過ごした。
  • 2016.7
    秋田ノーザンハピネッツ
    Bリーグ初年度となる2016-17シーズンに出場機会を求めて秋田ノーザンハピネッツへ移籍。 レギュラーシーズ全60試合すべてスターターとして出場し、 大車輪の活躍を魅せたが、チームがB2へ降格してしまった。
  • 2017.7
    アルバルク東京
    2017-18シーズン開幕前にアルバルク東京へ期限付で電撃移籍。 Bリーグ優勝に貢献。 さらにこのシーズンは Bリーグオールスターゲーム2017にSNSファン投票で選出され出場した。 翌2018-19シーズンにはアルバルク東京に完全移籍。 Bリーグ史上初の2連覇に貢献
  • 2021.7
    島根スサノオマジック
    2021年7月に島根スサノオマジックに移籍。 「野に放たれた安藤誓哉」と言われるほどの大活躍を魅せた。 シーズン中にはBリーグ歴代17人目となるB1個人通算3000得点を達成。 自身初となる「レギュラーシーズンベストファイブ」受賞
    通算5人目となるB1個人通算出場試合数400回

日本代表

【トムホーバス・ジャパン出場歴】 出場数:1(0) ※()内は先発出場数 平均プレータイム:13分49秒 平均得点:4得点 平均リバウンド:1 平均アシスト:2 平均スティール:0 平均ブロック:0
2016年11月に台湾遠征に臨む日本代表に初選出。 以後、長く日本代表のPGとして定着し、 2019年FIBAワールドカップ日本代表にも選出されている。 しかし、2021年の東京オリンピックのメンバーからは落選。 この時安藤選手は、 「代表へのモチベーションは常にありますし、前回のワールドカップで経験させてもらった中で、ワールドカップで活躍したい思いはずっとあるので、ベストを尽くしたい」 と語っている。 東京五輪女子日本代表を率いて銀メダルを獲得したトム・ホーバスHCが男子代表HCに就任。 久しぶりに選出された2022年2月27日、W杯アジア予選Window2のオーストラリア戦に出場。 しかし、若手の台頭などもありコンスタントに選出されない状況が続いている。 そんな中、2023年FIBAワールドカップ日本代表候補に選出されるが、最終的に落選している。

プレースタイル

安藤選手のプレースタイルを一言で表現すると、 「アウトサイドシュート」です。 高校時代の監督から 「隙があれば躊躇なく3Pシュートを打て」 という教えを受け、シューターとしてのプレースタイルを確立。 更に大学時代にPGにコンバートされたことで、 第一選択肢をシュート、それを相手が抑えてきたらパスを回すといった 攻撃型のPGという安藤選手独自のプレースタイルとなった。

獲得タイトル

チーム

Bリーグ(2017-18,2018-19)2回

個人

アジアU-18選手権得点王(2010)1回 アジアU-18選手権ベスト5(2010)1回 NBLカナダ All-Rookie Team(2014-15)1回 Bリーグベスト5(2022)1回 Bリーグオールスター選出(2017,2022)2回
※Bリーグ創設以降の記録になります。

コメント

タイトルとURLをコピーしました